広島菜の産地で、広島が誇る特産品を作りたい

私は、長楽寺という、当時の安村と伴村(現安佐南区)の間にある集落に生まれ育ちました。奇麗な川が流れるのどかな集落で、周辺は広島菜の産地として有名です。
戦後、20代で広島県食品工業試験場(現 広島県食品工業技術センター)に就職し、研究員として県内食品メーカーの指導に当たる業務に携わりました。実際に食品加工の仕事に触れるにあたり、食品づくりに喜びと生き甲斐を感じるようになりました。
ある時、試験場の同僚から、「広島菜の産地でもある長楽寺の出身なら、広島菜漬づくりをはじめないか」と勧められました。広島菜は「牡蠣」「酒」と並ぶ広島の特産品。広島菜の産地でもある地元長楽寺から全国に誇れる広島菜漬を作ってみたい!という思いが熱くこみ上げ、漬け物業を立ち上げることになりました。

広島菜の産地で、広島が誇る特産品を作りたい

広島菜漬は、野沢菜漬、高菜漬と並ぶ、日本三大漬菜の一つにあげられます。しかし、その出荷量は野沢菜漬、高菜漬にははるかにおよびません。どうしたら広島菜漬を全国に広めることができるか、妻と日夜商品研究を続けました。

主に商品のアイディアを思いつくのは、主婦である妻の方。私はそのアイディアを具体的に商品化し、販売、PRを請け負い、夫婦二人三脚で手探り状態からはじめました。

広島菜は収穫時期が秋から冬の間であり、出荷のピークも限られています。年間を通して広島菜漬を楽しんでいただきたいという思いから、広島菜の浅漬け(安藝菜)だけではなく、安藝紫、粽菜といった半年以上じっくりと漬け込んだ古漬商品の開発にも力を注ぎました。

また、広島菜漬のオフシーズンである夏に主力商品となったのは、「ぬか漬けの素」。当時ぬか漬けの素を商品化した企業はまだなく、徹夜をしても作りきれない程注文が殺到しました。

商品開発のために、新しい味や香辛料を求めてはるばるブラジルまで渡り、研究した頃もありました。まだ当時はブラジルまで渡航する人も少ない時代だったので、飛行機を乗り継いでいくだけでも一苦労、いく先々で様々なカルチャーショックを味わいました。やっとの思いでたどり着いたブラジルでは想像以上の大歓迎をうけ、商品研究をしながらブラジルの魅力にはまっていきました。

広島菜の産地で、広島が誇る特産品を作りたい

広島菜漬は、野沢菜漬、高菜漬と並ぶ、日本三大漬菜の一つにあげられます。しかし、その出荷量は野沢菜漬、高菜漬にははるかにおよびません。どうしたら広島菜漬を全国に広めることができるか、妻と日夜商品研究を続けました。

主に商品のアイディアを思いつくのは、主婦である妻の方。私はそのアイディアを具体的に商品化し、販売、PRを請け負い、夫婦二人三脚で手探り状態からはじめました。

広島菜は収穫時期が秋から冬の間であり、出荷のピークも限られています。年間を通して広島菜漬を楽しんでいただきたいという思いから、広島菜の浅漬け(安藝菜)だけではなく、安藝紫、粽菜といった半年以上じっくりと漬け込んだ古漬商品の開発にも力を注ぎました。

また、広島菜漬のオフシーズンである夏に主力商品となったのは、「ぬか漬けの素」。当時ぬか漬けの素を商品化した企業はまだなく、徹夜をしても作りきれない程注文が殺到しました。

商品開発のために、新しい味や香辛料を求めてはるばるブラジルまで渡り、研究した頃もありました。まだ当時はブラジルまで渡航する人も少ない時代だったので、飛行機を乗り継いでいくだけでも一苦労、いく先々で様々なカルチャーショックを味わいました。やっとの思いでたどり着いたブラジルでは想像以上の大歓迎をうけ、商品研究をしながらブラジルの魅力にはまっていきました。

漬け物がおいしくできるには、まず大切なのは「水」の質です。山豊がある長楽寺付近でくみ上げる地下水の水質がとても良く、漬け物づくりには最高の環境となっています。美味しい水でつくられた漬け物の味は格別です。

そしてさらに漬け物を美味しくするには、「手」のパワーが必要です。不思議な物で、同じ作り方をしても「手」の心の込め方一つで、味が大きく異なってきます。山豊は人の手による漬物づくりの重要性を重んじ、丁寧につくり続けるようスタッフ一同努めています。

山豊の漬物はおかげさまで各方面から良い評価を得ていますが、まだまだ、広島の特産品として、もっともっと伸びしろがあると思います。今後も、心を込めた人の「手」で、さらに質の良い漬物を提供できるよう、追求していきたいと思います。

VOL.4 庭尾 真衣
(生産部 出荷班)
VOL.3 小村 久子
(営業部 市内営業課 係長)
VOL.2 中高下 幹
(営業部 市内営業課)
VOL.1 山本 豊
(株式会社山豊 会長)

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